前回はこんな事を書きました。
『自分も周りの人との比較をしなくなるので、楽に生きられるようになります。
「おめでとう!」と言うのは、他者との比較だけではなく、“他人の成長”や“自己の成長”に対しても使えるので、意外と使える場面はあるものです。』
他人と比較する習慣が身についてくると、その人の成長は必ずどこかでストップしてしまいます。
例えば、何かの分野で頂点を極めてしまったら、すでにもう“上”はないのですから、努力しなくなったり怠慢になったり手を抜いたりするようなことが起こりえます。
それは、他者との比較によって“自分の位置”を確認してしまうからです。
しかし、成長すること自体楽しくなってくると、周りの視界は目に入らなくなります。
隣りの家が豪邸を建てたとしても、それに対抗して、自分も家を新築したり高級車を買ったりして、少しでも見栄えを良くしようという気持ちには一切なりません。
同僚が営業成績トップになって、自分は仮にビリであったとしても、1年前や3ヶ月前に比べて自身の契約数が2倍になれば、「自己の成長」が感じられるので、仕事をしていても楽しくなってきます。
この人は亀のような遅い歩みで、営業成績を伸ばしていくかもしれません。
しかし、3年後、5年後には、営業成績でトップになれるもかもしれません。
そして、営業成績でトップになったとしても、他者との比較によって喜びを得るわけではないので、さらにどんどん飛躍して成績を伸ばしていくことになります。
これが、どんどん飛躍して成功できる人と、どこかで力を抜いてしまって普通の人生で終わってしまう人の違いです。
「成長する喜び」を知ってしまったら、だまっていても幸運体質になっていきます。
また、何かマイナスの出来事が起こったとしても、その事象に対して「自分が成長するために必要なことなのかもしれない」という具合に、前向きに捉えることができます。
ですから、他者を責めたり自分を責めたりするという概念は、どこかへ吹き飛んでしまいます。
算数のテストで50点しか取らなかった子供に対して、「前回よりも10点増えたね。おめでとう!」と言えるようになったら、この波及効果はあらゆる所に出てきます。
例えば、上司に怒られたとしても、「以前は毎日ガミガミ言われてたのに、最近は文句を言われてもせいぜい週に1、2回程度だもんな。前に比べたら楽になったもんだ。」という具合に無意識にプラス思考ができるようになってきます。
そうすることによって、対人関係なども格段と良くなっていくようになります。
子供に対して、「10点増えたね」と言えるようになったら、
周りの人に対しても
「前より綺麗になったね」とか、
「前より痩せたね」とか、
「前より顔色良くなったね」とか、
「前より家の中綺麗になったね」とか、
言えるようになります。
特に、太っている人に対して「前より痩せたね」と言えば、相手から非常に喜ばれます(笑)
そうなれば、周りの人からご飯をおごってもらったり困っている時に助けてもらったりすることがよく起こるようになります。
もちろん、見返りを求めてやるわけではないですが、周りから助けてもらえるというのは、やはり運のいい人の特権ですね。
また、周りの人のいい面を見てあげられるようになると、あなたの周りに人が集まってくるようにもなります。
“どこ”に意識するのか?
これはとても重要です。
他人とばかり比較してしまえば、せっかく子供が前回のテストよりも10点多かったとしても、「おめでとう」という言葉はでてきません。
しかし、前回のテストと比較してあげることによって、「おめでとう」という言葉を口にすることができますね。
例えば、私の場合。
普通に暮らしていても、「幸せだな」って思えます。
それは、「豊かな人」ではなく「貧しい人」に意識しているからです。
ユニセフなどへ寄付をして貧しい人に意識していると、決して自分の境遇を不幸だとは思いません。
それどころか、恵まれているとさえ思えるようになります。
しかし、いつも「お金持ち」に意識してしまうと、自分の生活に「不足感」などを感じるようになりますね。
それは、意識している対象によって、自分の心の在り方も変わってきます。
最初の頃は、自分が幸せになる為に、貧しい人達に寄付をしていましたが、今はもうそういった下心は全くないです。
いつも「不足感」を持ってしまうと、いつまでたって不足したままの現実となってしまいますね。
思考は現実化しますのて、このお話はとても大事ですね。
皆さんの幸運を心からお祈り申し上げます。
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