- 2019-3-30
- 1年で願望実現・その他
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ゼロの法則にチャレンジ!!!
復讐心がメラメラ 失敗続きの恋愛に終止符を!(静岡県 山崎友香 38歳)
私は願いが叶う方だ。
幼い頃は、ほしいと思ったおもちゃは全て手に入っていた。何の疑いもなく「どうやって?」と方法を考えあぐねる事もなく
ただ、そのうち手に入るだろうと信じて疑っていなかった。だからこそ、遅かれ早かれ手に入っていたんだと思う。
幼い私は引き寄せの達人だった。
でもそれは、大人になるにつれてできなくなっていった。
色々な事を学び、知識や経験と引き換えに方法論を考えるようになったせいか、やる前からできないと結論づけることもある。
疑ったり、不安になったり、傷つかないように保険をかけたり。
今までの狭い経験から、こう来たらこうなるって決めつけたり。
そういった考え方が、叶う前も叶った後も私を苦しくさせているように思う。
私は引き寄せジプシーだったので、知るもの全て試してきた。その方法達は欲の少ない1発目はたいてい叶う。
が、なぜか次から叶いにくくなるので、違うものを試しては叶えるを繰り返してきた。
幸せなのは叶った瞬間と、それから少しの間だけ。
ここでいう「幸せ」というのは感情が刺激されていることを指していて、それを本当の幸せという意味では使えていないように思う。
手に入るけど。手に入れたのに失うのを恐れて、苦しくなったあげくに、苦しさに負けて手放すのだ。
一体何をやってるんだろう。と思うほどにそれを繰り返してはぐるぐると回っている。
引き寄せの好きなところは、思ったことが叶う。だから苦労しなければ叶わないという価値観は壊しいた方がいい。
というところだ。
この時点で、ゼロの法則を実行するのは矛盾しているようにも思う。
私は、日本人特有の働き者すぎるところが、あまり得意ではない。
苦労なんてしなくても、悲しい思いなんてしなくても、我慢なんてしなくても、幸せになっていいじゃないか!!!
でも、いい気分でいないといけない。わくわくしていましょう。感謝しましょう。
そんな気分をいつの間にか、叶える為に無理矢理している自分に気づくのだ。
でもきっとそうじゃない。
願いを叶える途中も、叶えた瞬間も、叶った後も幸せでいれる自分でいれなければ、何のために叶えるの?
そんなのきっと、みんなわかってて、だれもが幸せになりたくて方法を探しているんだと思うけど
叶えても、そのあと苦しくなる人、こんなはずじゃなかったのにと悩む人はたくさんいるのではないだろうか。
私のように。
だからまず、何が見えても聞こえても苦しくならない自分になるのが先なんじゃないかと思ったのだ。
じゃなければ、どんな願いを叶えても永遠に幸せになんてなれない。
そんなときに出会ったゼロの法則は、もし使いこなせたら、きっと不満なことはなくならなくても
受け取る自分は不幸ではなくなる法則だと思ったのだ。
どんなことが起こっても、それをラッキーと心の底から思える自分になれたなら、不運は自分の世界から消えてなくなるのだ。
悲しい出来事も、大きな幸せのために支払った代償なだけなんだと思えたら、そこにとどまらずに近々くるうれしい出来事を待つわくわくに変えられるのだろう。
私はまだ、できていない。
大切に思っていた人に言われた心ない言葉たちをわくわくに変えられていない。
言葉は凶器だ、でも誰かを救える武器にもなるから。絶対に絶対に7倍いいことがくるって信じようと思って日々を過ごしている真っ最中で。
何が起きてくれたら、この気持ち全てわくわくに変えれるのか考えて考えて考えているのだけれど、どれもこれも越えられなくて傷ついた気持ちに返ってしまう。
ということは、もっと突拍子もないことを望んでもいいのかもしれないなと、考えている。
停滞ぎみな私の日々は人生で何度か経験している。
つまらないと言えばつまらないけど、こういった後には決まって楽しいことがやってくるのはわかっているので
それならただ待つのではなく、運をため込んどいてやるっ!と、徳を積むことを考え、なんでもコツコツ実行し、思いっきりたまるまで返ってこなくていいから!とさえ思ったりしている今日この頃だ。
そして、ふと流れが変わって素敵な事が起きた時
絶対にしないと決めていることがある。
それは『聞かれるまでは誰にも言わない』
私はおしゃべりが大好きで、うれしいことも悲しいことも信頼できる人にはペラペラ、ペラペラしゃべってしまう。
愚痴や楽しくないことを聞かせるのは、大切な人をゴミ箱扱いしているようなものだと聞いたことがあったので、そこは気をつけるようになっていたのだが
うれしいことも言わないほうがいい。
と言うのはゼロの法則に出会い、ちゃんと勉強しはじめたほんの1ヶ月前くらいに知った事だった。
もう本当にびっくりだった。
考えたこともなかった。
妬まれそうな人には絶対に言ったりしないが、信頼している人にはじゃんじゃん話していたからだ。
聞かれてもいないのに。。。。
浮かれてうれしくて聞いてほしくて。
今まで叶っては掌をすり抜けていった色々な事。全部、浮かれてしゃべったせいなんじゃないかと思うほど、ものすごくしゃべってきたのだ。
でもよくよく考えてみれば、例えば宝くじで10億円当たったら私は絶対に誰にも言わない。
自慢しようとも思わない。
ものすごく嬉しいことなのに。もう飛び上がる程のことだと思うのに、絶対に話さないだろう。
むしろ誰にも悟られないように生活基準も変えず、普通に会社に行って、心の中でにんまりしてるはずだ。
なのにどうして、嬉しいことをペラペラ話してきたのだろう。
だから私は試しに、今後、起きてくる嬉しいこと全部、10億円扱いすると決めているのだ。
今までと真逆の反応をするのだからわかりやすい結果がでるに違いないんだと思っている。
早くうれしいことを喋り散らすのを我慢したい!
という変な欲求まで出てきてしまった。
それができたとき、私の世界は一体どう変化するのだろう。
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